集合的無意識へのアクセス

空の世界

ここでは、マントラ等の存在意義、そして、それらが絶対的なものでないことをテーマーに書いてみました。世の中にはいろいろな宗教があり、現世利益の大きさを誇示し、自らの宗教こそが、真実の教えだと主張する宗教は数多い。あやしげな新興宗教にさえ、奇跡と思われるような現世利益の得られるものは結構あります。しかし、現世利益あるものが真実の教えとは限らないのです。どちらかというと、宇宙創造神というより、人間に近い神様の方が現世利益をかなえるには向いているようです。真理とは、さとりであり、悟りの世界においては現世利益は全く関係がないからです。

全ての宗教のかたっているところは真如の教えであり、真実ではない。仏陀も真実はかたっていない。真実は自分で悟れということです。色々なたとえで、出会った人毎になんとか真実を悟る方向に導こうとしたのが仏典です。だから、仏典は仏陀がそれをその人に語ったシチュエーションを考え、何を悟らせたいがゆえにこのようなことを言ったのかを考えなければ、何の役にも立ちません。真言密教とて例外ではない。真実の方向は示していても真実は語っていない。

マントラを唱えると色々な効験が得られるのは集合的無意識にしまったエネルギーを集合的無意識にアクセスできない人でも容易に取り出せるようにパスワードとして登録したものです。最初にマントラを作った人は集合的無意識にアクセスできるひとだったわけですが、集合的無意識にアクセスできない人でもパスワードさえわかれば自在にエネルギーを取り出すことができるのです。陰陽道の霊符、レイキのシンボルとマントラ、西洋魔術の呪文もみな同じです。

従って、集合的無意識にアクセスできない間はマントラは必要だが、集合的無意識にアクセスできるようになったら、もはやマントラは必要ありません。自分で好きなエネルギーを作り出すことができる人は何のマントラも要らないからです。マントラはそのエネルギーを作り出した人が、後々の人、それも自分で集合的無意識にアクセスできない人でもそのエネルギーを使えるようにするために、集合的無意識に収容したエネルギーのキーワードとして集合的無意識に登録したものだからです。

エネルギーの登録も、そのエネルギーに意識を持たせることもでき、エネルギーを取り出すためにパスワードの設定もできるという、集合的無意識のしくみにこそ、真実に近いものがあるのではないでしょうか?
自分は宇宙のすべてとつながっており、自分こそが宇宙そのものでもある。物質的な宇宙に心をとらわれてはならない。時間、空間を含む宇宙にあるすべてのものは宇宙の魂、宇宙の心が作り出している。それはあなた自身の心でもある。目の前に見えているものはすべて自分自身が心で作り出している。人間としての自分の心身へのとらわれ、心のこだわりを取り去れば宇宙と一体化できる。

「そんなことできるわけない、自分は特別の能力のない普通の人間なんだから」と思いますか。まず、その思いを「自分にはできる。自分こそが選ばれたものすごい潜在能力を秘めた人間なんだから」といいかえて下さい。

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