生霊というのは、自分の魂の一部というより、強い念により一つの独立した意思ある魂を作り出してしまう現象です。
従って、いったん作り出されると、作った人の意思とは別に行動するので、作った人がもう怨んでいなかったり、既に執着をなくしていても、作り出されたときの意思に従って行動します。強い意思を持っている人は、生霊をはね返すことも出来ます。跳ね返された生霊は、製造者の元に返るので、呪うと自分に帰ってくるというのは、このことでしょう。
よく言う悪魔というのは、この生霊として作り出されたものの集合体ではないかと思っています。
また、人間は、神として行動する独立した魂も作り出すことが出来ます。不動明王等の密教系の本尊や新興宗教の神はみんなそうだと思います。役の小角が山上が岳で1000日の山篭りのすえ、蔵王権現を顕現したのは、有名な話です。私は、これは自らの意思に山の気を加えて強烈な魂を作り出したものと思っています。
また、もともとは人霊だったものが、悪意の生霊と合体して悪霊となったり、作り出された神としての魂と合体して、神霊になったりします。いろいろな宗教があり、それぞれ別の神を奉じていながら、別々にご利益があるというのは、こういうことによるものです。
また、日本の神道のようになくなった人に対して社を立てて神格化して神として祭ったりするのも、なくなった人の魂に神として作り出した魂を合体させ、神としての力を発揮させ、衆生に利益させるためです。信者が増えれば増えるほどその力は倍増します。このように神となったもと人霊が自らの力を倍増させるために神への信仰を強要するのは当然のことです。もちろん、さらに力をつけて自分をあがめたものを利益させようということは当然にあるでしょう。
出口王二三郎が、大本教のご神体に「王二」と書いた木の札をおいて、信者に王二三郎自身を拝ませていたというのが、第一次の大本教弾圧の時警察により確認されています。王二三郎が作られた能力者だという話もあります。私の感触では、王二三郎はもともと優れた能力を持っていたがさらにそれを高めるために信者を利用したのではないかと思っています。
こういう話を聞くと、神社仏閣に拝みに行くのが馬鹿らしくなるでしょうか。でも、その神の力にもよるでしょうけど、ある程度のご利益はあると思います。
しかしながら、ほとんどの神がいわゆる六道輪廻の神界の神であり、解脱を果たした神というか宇宙根源の魂といえるものには、まず人間はアクセスできません。
ここで、宇宙の実体について私のとらえているところを説明すると、宇宙はクラインのつぼのように極大の先が極小につながっている。つまり、宇宙をどんどん大きい方向でたどっていくと、自分の体を構成しているものをどんどん小さくしていったミクロの世界につながっているということです。
すなわち、自分の内側には、自分の外側の宇宙のすべて存在が含まれているということです。人
は宇宙の中の小さな構成部材でもあり、また宇宙のすべてでもあるのです。
これは、私が子供のころに頭の中に浮かんできた宇宙の仕組みであり、近年瞑想によって再び、感じ取った宇宙の構造です。
古代インドの聖者もそのように感じ取っていたようで、以前目にした古代のインドにおける宇宙観の図もそのようになっていました。また、太極図形も同様なものを表しています。
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