富士山修験の旅

不思議体験

富士山修験の旅

2001年6月30日より、7月2日まで高尾山修峰会主催の富士登山修験の旅に行ってきました。

高尾山薬王院の修験の会、高尾山修峰会での富士登山の企画は毎年のように企画されているのですが、山開きの日にあわせているため、大抵は平日に行われています。
私も以前から参加したいとは思っていましたが、平日に3日間休みを取るのは難しいので、なかなか実現できませんでした。
今回は、土日をはさんでの企画だったので、なんとか、仕事のやりくりをつけてぎりぎりになって、申し込みことができました。終わってからの感想ですが、あらゆる意味で、本当に行って来てよかったと思いました。

内容的には、かなり過酷でした。なにしろ、富士山を登るのにJRの富士吉田の駅を出てから、ひたすら歩いていったのですから、・・・・・・まず、一合目に行くまでが大変でした。
東京から歩く企画にしようかという案も出ていたようでしたが、実際に、東京から5日間かけて歩いてきた講もありました。

6月30日

前日、・・・・ふっと明日は晴れだと頭に浮かびました。
・・・・そして、帰ってくるまで、傘は必要ないとも・・・・・・・。
それまでずーっと雨だったので、本当にそうなったらいいなと思いながら寝て・・・・・
・・・・起きたら晴れです。
思わず、昨日頭に浮かんだ声の主に感謝しました。

朝9時半、高尾山薬王院不動院に集合 御法楽(ご本尊に対して般若心経を唱えるわけです。)の後、先達4名を含む19名で出発。私もとりあえずの白装束で参加しました。

京王線高尾山口駅より、高尾でJRに乗り換え、車中で昼食をとりJR富士吉田で下車し、最初の目的地である浅間神社に徒歩で向いました。

当日は、浅間神社の大御払いの日でもあり、かつ富士の山開きの前夜祭ということで、各地の富士講が集まり、富士吉田市内を歩き回るパレードがありました。
我々もパレードの列に並びます。最後にパレードの列に入ってきたのは東京から5日間かけて、富士吉田まで歩いてきたグループでした。全員の拍手を受けて列に並びました。なんとも、満足げな笑顔が印象的です。
富士吉田市長その他来賓の挨拶の後、市内をのし歩くパレードが始まりました。テレビ局の取材陣も来ていたようです。テレビ局のスタッフらしい人がビデオカメラを回しているし、やたら、カメラのフラッシュが飛びます。
そして、市内を回った後、パレードの終点は、浅間神社の本殿に着きます。

少し、休憩した後、稚児行列、踊りその他いろいろな催し物の後、注連縄くぐりの神事が行われました。良く分からないけど、直径2メーターぐらいの注連縄の輪をみんなで行列を作って、何回もくぐるのです。一回ごとに行列の歩く順路も変わります。8の字のようにかなりうねって歩いたりもしました。これってなにを意味しているのかな、龍神のようなものだろうかなんて思いながらぐるぐる回りました。
そして、神社の本殿で大御払いの儀式(ながーい大御払い用の祝詞を唱え、参加者の諸願成就を願ってご祈祷してくれるわけです。)を行い、最後は、田力男の命に扮した(ぬいぐるみのようなものを着ていて本格的でした。)人が斧を持って、神社内にある富士登山道吉田口の鳥居の注連縄をたたき切って、山開きの後、全員でその鳥居をくぐりました。

浅間神社を後にしてから、河口湖めざしてひたすら歩きます。

やっとのことで富士スバルラインの入り口近傍にある宿に着きます。
風呂を浴びてから、夕食を食べた後は、みんなすぐ寝てしまいました。
明朝の起床は4時です。 私は、明日からの登山備えて、荷物を本当に必要なものだけに絞って、整理して軽くしました。
山小屋では風呂もないので、防寒に必要な衣類以外の着替えは不要、髭剃り器も不要と言う感じで、半分ぐらいの荷物を河口湖の宿に置いていくことにしました。
いつのまにか時間は10時ぐらいになっています。明日に備えて急いで、床に着きます。

7月1日

午前4時起床、いよいよ山開きの日です。
顔を洗って身支度を整え、朝ご飯のおにぎりを抱え、午前5時より出発しました。
河口湖の宿を出でから、まず、富士スバルライン入り口に向います。
スバルラインをひたすら登っている間、時々くる自動車がすごい勢いで、抜いていきます。
歩いている我々はいつ富士山に着くのでしょうか。
胎内洞窟をすぎたあたりで、吉田口登山道へ向う方向に左折します。

そして、しばらく歩いてから、吉田口登山道を登り始めます。
なんと言うか、江戸時代に戻ったような徒歩用の道が続きます。
しかし、車道を歩くよりははるかにましです。
時々、短パン姿で、トレッキングを楽しむ人たちが駆け足で抜いていきます。
一合目まではまだまだです。
大分日が上がってきて暑くなってきてから一合目に着きます。
茶店もまだ開いていません。最も、茶店が開いていても、こんなところに客が来るのだろうか等と思ってしまいました。
ここで、朝食です。持参したおにぎり2個を漬物といっしょに食べ、水筒の水で流しこみます。食後はまたひたすら歩きます。登ったり降りたりの山歩きは、変化があって良いけど、登りっ話しの山歩きは結構つらいものがあります。
二合目、三合目と一合ずつ休憩をいれながら登っていきます。

 

三合目の茶屋後です。ほとんど崩れかけていました。日ごろの運動不足がたたって、この辺では私は相当へばっていました。

しかし、カンカン照りで暑かったですね。
風もなかったし・・・・・・・

ひたすら汗かきまくって、大分ダイエットできました。ウエストの周りは大分すっきりしてきたようです(笑)。

四合目、五合目と上がって行って、やっと着いた六合目の佐藤小屋で、昼食です。
混ぜご飯にワカメの味噌汁にひじきと、ふきの煮物でしたけど、おいしかったです。
ココで、昼食を含んで二時間休憩しました。
昼寝をしてすっきりとリフレッシュです。
これで、もう少し歩けそうな気がしてきました。

午後2時半に、六合目の佐藤小屋を後にまた登り始めました。
七合目に向かいだしたとたんに、いきなり凄い岩場がありました。
岩場を越えて、さらに歩きます。
七合目はなかなか見えてきません。
やっと、七合目に着きます。
この辺に来ると、空気も大分薄くなっているので、足腰の疲れより、息切れの方がきついです。
もうすこし、ジョッキングでもして走りこんでおけばよかったなと思っても、もはや手遅れ、一歩一歩踏みしめるように上がります。
七合目、八合目というのは、小屋がいっぱいありました。空気が薄いので、みんなすぐへばるからだそうです。七合目も、八合目もそれぞれ5件ぐらいずつ山小屋があるので、ちょっとずつ休憩しなが登ります。
七合目の最後の山小屋あたりでもう夜7時を過ぎていました。日はくれています。
まだ空はあかるさが残っていたので、初めの内は星明りで上がりましたが、最後は懐中電灯のせわになりました。空気が薄いので、私は50M歩くたびに立ち止まって呼吸を整えていました。
吉田口登山道はマイナーな場所なのか、登山者がごった返していなかったので、自分のペースで上がれたのが、救いでした。
やっと、八合目とかいた山小屋に来ても、我々の泊まる場所は八合目最後のともえ館、まだまだ終わりません。10M歩くたびに息を整え、やっとのことで、八合目最後のともえ館に着きました。
時刻は8時を過ぎています。本当によく歩いたものです。
出発したのは午前4時だったから、1日16時間歩いていたんだなんて思いました。
果たして、距離は何10キロなんだろう。
夕食はカレーライスでした。トン汁だ甘酒だと結構メニューは豊富です。
ここまでの息切れしながらの山道を思いだして、せっせとこんな場所まで食料を担いでくる人にはつくづく尊敬と感謝の念を持ってしまいました。
一日滝のように汗をかいたけど、風呂も入れない、顔も洗えないのは残念だけど、山では水は貴重だからしょうがないですね。
食後は、明日に備え、みんなすぐ寝ました。私も9時には寝つきました。
おもいっきり熟睡していたのですが、2時間半程ねて、11時半ごろ眼がさめました。
ものすごい頭痛です。肩こりも凄い。なんだこれはとおもいながら一生懸命指圧をしながら頭痛と肩こりを直そうとするけど、直りません。結局頭痛と戦いながら朝を迎えてしまいました。
後で、聞いてみれば、酸欠による高山病みたいなものだそうで、外で思いっきり空気を吸ってくれば直るとのこと・・・・・先にいっておいてくれよ。・・・・・知らないんだから(笑)。・・・・・・
たぶん、ただでさえ空気が薄くて酸素が少ないのに、みんながかたまって寝ているから寝床の酸素が非常に少なくなったのでしょう。
「昨日、夜中に頭痛起こしませんでしたか」と、言われたのは翌日の昼のことでした。


7月2日

4時起床ですが、もう1時ごろから出かけていく人がいて、夜中はうるさかったです。
やっと静かになったら起床時間です。
早く出かけた人は山頂でご来光を見ようとしているのでしょう。頭痛はのこっているもののやっぱり朝はすがすがしい。
実は、ご来光を見るのが山頂でなく、八合目からの予定だったので、私は凄く不満でした。
どうせなら、もっと上から見たいと思っていたのです。ところがその日はなんと、山頂では、ご来光は見えなかったそうで、見えたのは八号目だけだそうです。
あまりに都合のよい展開になっているので、笑ってしまいました。雲海から登ってくるご来光はなんか神々しくてすがすがしくて、心が洗われる様でした。ご来光の上にまるで龍神を思わせるような黒い雲があったのが印象的です。
多分この雲のおかげで、山頂の人はご来光が見れなかったんでしょう。しかし、写真を現像してから気がついたんですが、ご来光が雲の上に出た瞬間の写真は、上空の雲の形が完全に竜の顔の形になっています。また、写真には写っていないのですが、雲全体を見ても、長くうねっていて、本当に龍神のようでした。どうやら、富士山の龍神が我々を歓迎するために、その姿をあらわしてくれたみたいです。

そろそろ雲の下にうっすらお日様が見えます。


御来光が出た瞬間!雲の形は竜の顔の形になりました。

2000年7月2日のご来光、4時26分(富士八合目)

朝食を食べた後はすぐに山頂に向けて出発です。
荷物は必要なもの以外は殆どともえ館に置いていきます。
山の斜面には上から降りてくる人たちが見えます。後もう少しで、山頂です。
山頂が近づいてきました。
なにしろ、荷物は水筒ぐらいしか持っていないので、昨日よりはるかに楽です。
やっと山頂に着きました。このときの感激は忘れられません。

富士吉田にある浅間神社が本宮で、こちらの浅間神社は奥宮だそうです。
残念ながら、山開きはしたものの、神社はまだ開いていませんでした。とりあえず、全員で御法楽をあげて、休憩となりました。

山頂には意外にもいっぱい茶店がありました。
私は、エネルギー補給に甘酒を注文しました。
ここまでの道中を考えると、甘酒一杯でも、ここまで運んでくるの大変だっただろうなんて思ってしまいます。

休憩後はお鉢めぐりに出発です。今度は、平らなところを歩くので俄然楽になりました。
頂上に来たと思うと、足取りも軽くなります。
頂上はところにより、海岸を思わせるような細かい小砂利のある場所がありました。
お鉢をバックに記念撮影です。
せっかく登ったんだからすぐに降りたくなかったですね(笑)。しかし、相当にあやしい服装です。
せっかく白装束をそろえたから有効利用するために次ぎは四国に行って、88箇所回ってこようかななんて言っていました(笑)。
山頂にて雲海をバックに、ほら貝を吹いているのは、高尾山薬王院の金沢師。

吉野、熊野の奥駈け経験も豊富な修験僧です。

お鉢の内側には今も雪渓が残っています。
スキーのシュプールの跡までありました。こんなところまで来てわざわざわずかな雪渓を滑ろうなんて人がどうやらいるようです。
これはお鉢の中に降りていって、お鉢の底を覗いた所です。
富士山を登りつづけて頂上に近づくにつれてエネルギーが高まって行きましたが、お鉢の内側からはすごくエネルギーを感じました。
地の底から湧き上がってくる感じです。
全身がエネルギーに満ち溢れました。
なんか、富士山の心と触れ合って一体となったような気がしました。
もしかして、このために呼ばれたのかななんて、自分に都合よく解釈して、しばらく富士山のエネルギーに浸っていました。
ココが日本の最高峰だそうです。ちょうど、気象台の横の位置です。生まれて初めて、富士山の頂上に立ったので,感慨無量です。
後は帰るだけ、きっと又来るぞーっと言って、日本最高峰の地を離れ帰路に着きました。

下山の道は茶店も何もない道が延々と続きます。
とりあえず、八合目のともえ館までもどり荷物を持って下山です。
ココでは、何も食べず。
おなかすいたなー・・・・・・・(>_<)
お昼ご飯は、河口湖についてからなんて言われ、空腹にむちをうちながら頑張って下山しました。
私は履物は比較的深いトレッキングシューズを履いていったのですが、降りていくときにそのありがたみが分かりました。下山道は、砂利みたいな火山岩がごろごろして足が滑りやすく(一度こけました)、またそんなものが靴の中に入ったらいたくてたまりません。浅い靴にしなくて良かったとつくづく思いました。
七合目だ、六合目だなんていっても下山道には茶店なんてありません。
カロリーメイトみたいな非常食や水は必需品です。
しかし、のぼり程は汗をかかなかったので、下山道ではそれ程多くは水を飲むことはありませんでした。
帰りはスバルライン側の五合目よりバスで帰ることになっていたので、五合目が近づいてからスバルライン側にぐるっと回ります。スバルラインから登ってくる人たちは人の数も多く又、殆ど普通の観光客だったので、我々の団体はかなり注目を浴びました。
やっとのことで、五合目に着き、バスに乗ると、一気に脱力感が来ました。
昼食の待つ河口湖の旅館が待ち遠しい。
結局、午後一時半ごろに旅館に着いて、風呂を浴びてすっきりして、二時半より昼食です。
おなかがすいていたので、殆ど無言で、あっという間に平らげてしまいました。

食後は、バスで高尾山まで向い。不動院で最後の御法楽をあげ、道中の無事を感謝しつつ解散。
長いたびもやっと終わりました。
終わって見ると、苦しかった思いでなんてみんなどこかにいってしまって楽しかったことしか頭に浮かびません。

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